発達障害 我が家でのとらえ方
こういわれると大抵の人は
障害?
なにかビョーキ?
人として劣っている
などとらえてしまいますよね。
でもこの発達障害っていうもの
ADHDなのかASDなのかLDなのかなんていうシンプルなカテゴライズではなく
ほんと人それぞれです。
どの部分に欠陥があるのか、どんな不自由があるのか、そしてそのひとつひとつの程度がどうなのか?
うっすら程度なのか深刻なやばさなのか?ほんと人それぞれ。
なので「発達障害」ってひとくくりにするのはかなりおおざっぱだなぁと思います。
それゆえ「個性」だとも表現されたりすることもあるのかなぁと。
でも「個性」だよ~♪気にしない気にしない♪ってわけにもいかないのですよね😂
臭いものに蓋をしたって解決なんかしない。
実際、仕事もしっかりできて、友達ともうまくやれてて、勉強もできてて
「ん?なにか問題あるの?」って人でも実は何か持ってることもありますよね。
例えば「感覚鈍麻」。
自分の限界がわからない。疲れが溜まっているときに「今日そろそろ休まないと倒れるなぁ」と、自分のことがわからない。だから元気に出勤してきたと思ったらいきなり倒れちゃう。大人なんだから自分の体のことくらいわかりなさい!って言われちゃう。
胃袋の限界がわからず「おいしいね」ってニコニコ食べててずっと元気だったのに帰宅したらげろろろ~とする。
こういうのも「感覚鈍麻」。
自閉症スペクトラムを含む発達障害の極うっすらバージョンだと思います。
うっすらバージョンまで含めたら人類のほとんどが何かしら発達の凸凹は持っているのではないでしょうか?
我が家ではそうとらえています。
なので
医師の診断がとれるのか?診断をとったところで何なのか?治療薬を飲めば解決なのか?そもそも医学的アプローチでなんとかなるものなのか?と
夫や子供たちと暮らしていて思うのです。
そして
行き着いた答えは
我が家としては、
円滑に生きるためのスキルを子供たちにオーダーメイドで作成したレシピで伝授し、刷り込む!
医学というより、生活訓練こそ必要!
という認識です。
凸凹が人それぞれである以上、寄り添い方、アプローチの仕方も完全オーダーメイドだと思うわけです👍
そんな感じで、ままん流「凹部分を底上げしていくぜ作戦」を綴っていけたらなと思います😊
子供に寄り添うこと、愛のあるまなざしってなんだ?と思ったときにこの本が知恵をくれました。
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